学びのNATURALへ
まずそもそも現代の子どもたちは、自分が同年代だったときより格段に頭がいいのではないかと思っています。この現代の世間の情報量にさらされている中で生きていることや、共通テストの問題の複雑化と問題量の増加、高速的な処理を求められる変化を見てもそう感じます。さらに、苦難を与えずとも苦難を感じざるを得ないこの現代で生きている中で、希望をもって学びに向かう子どもたちには敬意と感謝しかありません。
そのような子どもたち一人ひとりが、本来もっている好奇心を念頭に、自身を「拡げる学び」の状態と「深める学び」の状態で、それぞれに逆らわず自然に引き出して伸ばせる授業、「やりがいがあって夢中になる」学び方はないかと模索しています。
そんな中、子どもたちの、先生や友人の「良い」を認めながら自身を成長させる姿を見ていると、すべての子どもたちが「生まれながらの学習者」であることを確信しています。
そしてこのような姿は、子どもたちが、「個別最適」や「協働的」な学び、もしくは「教科横断」のような学びを望んでいるメッセージかもしれません。はじめは意図的に与えることもあるかもしれませんが、子どもたちの好奇心に従うと、自ずとこのような学び方を現代的に得ていくのだと思います。
狩猟社会から長らく続いてきた人々の社会は、ヒトからモノへとある意味「不自然」な動きを挟みつつも、自己修正し、最適化と創造性を求める「自律社会」に入ってきました。
ここまで時代ごとに、人々の幸せを願って発展してきた技術や力は、その「意識して分かる」事柄を認識しがちですが、実はその影響を「無意識的に感じている」ことも同じくらい大事で、人々はそれを本能的に感じながら生きています。すると、この大きな社会の変化のうねりは、上の「不自然」ささえも「自然」であることに気づいてきます。このことを思うと、やがて近いうちに「自然社会」のような時代への急速な変化が起こってくるのではないかと捉えることができます。
子どもたちを子どもたちらしく捉えることが、自然を自然として捉えることに繋がっていくのかなと思います。子どもたちにはどうか学ぶことを通して幸せになってほしいと願います。
---ここ最近、多くの先生方、生徒たちから学ぶことが加速しています。いつものワクワクとモヤモヤへと導く、多くの機会に感謝いたします。
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